兄
直接本人から聞いたわけじゃないけれど、兄がおかしくなっちゃったのって、やっぱりあの宗教のせいなんじゃないかと思ってる。
私には3つ年上の兄がいる。長男だ。彼は20歳の時、私が17歳のころからおかしくなった。
学校の校内放送で職員室に呼び出されて何事かと思ったら、私の兄が倒れて救急車で運ばれたことを教えられた。
家に帰り、母から事情を聞くには、兄が風呂から全裸でリビングに飛び出してきて、そのまま発狂していたらのでどうすることもできなく、救急車を呼んだとのことだった。兄はそのまま精神科に入院することになった。少し経ってから病名を教えられた。「統合失調症」。だってさ。当時の私にはそんな病名聞いたこともなかったし、兄がこれから先どうなってしまうのか謎だった。
母
家族とはもう5年以上会っていない。母にも、兄にも、弟にも。
みんな壊れてしまった。いったい私はどうしたらいいのだろう。
彼らを嫌いなわけではない。幸せになって欲しい。しかし、私は壊れたくはない。道連れにされたくはない。
彼らだって私に壊れては欲しくないだろう。そんなこと望むはずがない。
私にだって幸せになる権利はあるはずだ。なってやる、絶対に。
精神科に入院中の母は、日に日に痩せ細りしゃべるのがやっとの状態らしい。私と電話で話すことすら拒否している。そんな勇気ないってさ。私のことを怖がってるんだろうか?
退院の目処はたっていない。
信じ続ければどうにかなるんじゃなかったのかよ。…何があったんだよ。
まあ、だいたい推測はできるけどさ。
きっと辛かったんだよね。耐えられなくなったんだよね。いままでよく頑張ってくれてたと思う。
でも、これからどうするの?
私は大丈夫だけど、あの2人はお母さんがいないと生きていけないんじゃない?
父
始めに言っておきたいのは、まず私は家族を恨んでないし嫌いというわけではない。
ただただ、私の家庭が他の普通の家庭とやや異なることで全ての歯車が狂ったのだと思う。
誰かのせいにするのは良くないことだというとはよく分かっている。しかしながら全てを自分自身のせいにして責め立てて、自分を苦しめたくはない。私は…壊れたくない。
父は私が15歳の時に亡くなった。癌だった。その頃私はとある宗教を信仰していた。父母2人ともにその宗教の熱烈な信者であったので、その教育の影響により私も信者になることはごく自然なことだったと思う。
父が末期癌と宣告され、治療の施しようがなくなった。父が横たわるベッドのとなりで呆然と床に涙の水たまりを作ったのを今でも覚えている。その時は特にその宗教を頼らざるを得なかった。他に頼れるものがなく祈るしかなかったのだから仕方ない。祈り続けることで奇跡は起きる。家族にもまわりの信者にもそう教え込まれたし、信じるしかなかった。
しかしその祈りも虚しく、父は死んだ。病室での最後だった。逝ってしまう寸前に「いままでありがとうね」とお別れを言ったが、最後まで苦しそうにしていたのでちゃんと伝わったのかは不明だ。その時点で私の中ではもうその宗教については半信半疑だった。
お通夜でたくさんの親戚が集まった。久しぶりに見る顔や見知らぬ顔も多々。しっとりしたはずの行事でも酒があれば会話ははずむ。まだ15歳だったが私も苦いビールを少しだけ飲んで会話にまじった。そこで初めて知った。父の過去を。
私が産まれるよりずっと前。母と結婚するよりも前の話。父はノイローゼだったらしい。度々発狂しており人とまともに話すことができるような状態ではなかった時期が長くあったらしい…。そんな話生きている間は誰にも(もちろん本人からも)聞いたことがなかったから、衝撃的だった。あんなに頭が良くて優しい父にそんな時期があったなんて正直信じられなかった。精神科に通院していたのかも、当時にそんな病名があったのかも不明だが、たぶん「統合失調症」だったのだろう。と今になって思う。
そんな状態から回復し、仕事を始め、母と結婚をし、私を含む子どもたちを育てたのだから本当に凄い。一緒に生活している間は精神科に通っている様子も薬を飲んでいる様子もなかった。宗教の力だろうか? 信じられるものがあるということはやはりとても凄いことなのだろう。
その後、子供3人を1人で育てて行かなくてはならないプレッシャーから母を救ったのも、その宗教の力だったのかもしれない。
2020今年もよろしくお願いします。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
仕事面、プライベート面でいろいろなことがあり、昨年はあまり更新できませんでした。
今年も忙しくなりそう(しそう)なので頻繁には書けませんが、書きたいことがたくさんあるので更新していく予定です。
…とりあえず、年始から母が壊れました。
現在精神病院に入院中です。私とは会話もできない様子です。
どうしていけばいいのか、どうすべきか、どうしたいのか、日々悩ましい毎日を送っています。
詳細については後ほど更新予定です。
(精神的に余力があれば)
不登校の理由
この間は大変不適切な記事を投稿してしまい、本当に申し訳ございませんでした。
ひとつ断っておきますが、私は自殺志願者にウンチを食べさせたいスカトロ愛好家ではありません。
誤解されてしまった方と、期待されてしまった方に深く謝罪申し上げます。
本題。
とある不登校のユーチューバーが最近世間を騒がせているらしい。
賛否両論あるようだけれど、個人的には本人の好きにさせてみてはどうかと…。
革命家さんだったんだね、頑張って。
私は切り取られたネットのニュースをさらに切り取るようにチラッとしか見ていないし、その動画も見たことないから、彼に対して否定も肯定もするつもりはないけれど、彼が幸せになれることを祈ってます。
私も小学生の頃は不登校の時期があった。
両親をかなり困らせていたと思う。ごめん。
そのようなお子さんを持つ保護者のために、今日は不登校になった子どもの気持ちを、不登校経験者としてここに記したい。
…と思ったけど、正直当時の心理をあまり覚えていない。
ひとつ覚えてるのは、「どうして」を言われるのがとても苦しかったことだ。針のようにつき刺さるその言葉を親も先生もみんな無邪気に使っていた。
でも、保護者ならそうなってしまった原因を知る権利(義務?)が、きっとあるだろう。聞いて当然だ。
当時から、自分の思っていること感情を言葉に変換するという能力が極端に低かった。
それが、全ての原因であり、元凶かもしれない。
それを考えることすら嫌だったのかもしれない。
怒りは涙だった。
涙は恥だった。
恥は人に見せられなかった。
保健室も居心地の良い場所ではなかったけれど、人が少ない分、教室よりは楽だった。
私は教室に戻され、フツーに戻された。
私の場合、学校に行きたくないという思いは尊重されなかったけれど、結果的に今は普通に仕事に就くことができ、大好きな嫁と幸せに暮らしている。
ありがとう。
もし仮に、自分に息子ができ、その子も不登校になった場合、私はどうするだろうか?
不登校経験者の私でも、わからない。
たぶん、そこに正解はないと思う。
幸せになって欲しいという思いは当たり前だけれど、親が思う幸せ像と子の幸せ像は必ずしもイコールではないだろう。
性格として似てる部分はあれど、違う人間なのだ。
まして常に時代も、価値観も変わる。
正解はない。
自分の経験から、「どうして」は言わないであげたい。
好きなことを、好きなようにさせたい。
ワガママにはさせたくない。
それでいて、本人が幸せに生きられるであろう選択肢を、その時のその状況で一緒に見つけてあげられる。
そんな親になりたい。
死にたいと考えてる人へ
雪は毎年降っているはずなのに、雪の結晶を見るのは何年ぶりだろうか。
ああ、大人になりたかった子どもの頃に戻りたい。
今は春だけど、冬だった頃、私はそんなことを考えていた。もう少しで夏だ。
話が変わるけれど、ウンコ味のカレー問題という、哲学の頂点的な問いがある。私が子どもの頃には既にその問いが存在していた。
多くの人々がその問いに悩まされる時期があったであろう。まだないという人もいつかそういう時期が来るので安心して欲しい。
そして限られた人生の貴重な数時間を無駄にする。
私だってそうだった。会社でPCと向き合いながら一生懸命仕事をしているフリをしつつ1時間ほどそれについての思考に費やしたことだってある。解決しない場合、1週間後ぐらいにまたその問いについて考えなくてはならない。
偏頭痛とか定期的な発作のようなものだ。
ソクラテスもその問いに対しては答えを出すのを避けた。あるいはソクラテスの住んでいた地域、時代には「カレー」という食べ物は存在せず、その問い自体も存在しなかった可能性もある。
とにかく、かつての偉大な哲学者すらも答えを出せなかった、そのしわ寄せが現代の人々にきているわけだ。
ざっくりその経済的損失を計算してみよう。
カレーを食べる地域である、日本とインドの人口は合計で、
1億(日本) +13億(インド) = 14億。
グローバル化が進み今よりカレーが全世界に普及すると考えると、影響は今後さらに拡大すると思われる。
うんこ味のカレーを食べるべきか、カレー味のうんこを食べるべきか、自分なりの暫定的結論を導き出すのに必要な時間は平均で1時間くらいだとする。1時間の根拠は、平均的な存在であるこの私がそのくらいの時間を要したのだから間違いない。平均値だ。
ただしこれはあくまで暫定的結論であり、人類の普遍的な問いが根本的に解決されたわけではないので、注意が必要だ。
1時間あったら深夜のコンビニのバイトで1000円くらい稼げる。
つまり、合計の経済的損失額は次の式で表すことができる。
1000(円) × 14億(人) = 1兆4000億円。
ソクラテスの罪は重い。
哲学というのは考えたところで社会にとってなんの生産性もない、極めどうでも良い問いであるにも関わらず、答えを導き出すのが大変困難な問いのことである。
哲学者達は日々目的もなくこの問いに対して不毛な論争を繰り返し行うことで、自己承認欲求を満たし、威厳と尊厳、また精神的安定を保っている。
古代のギリシャ人はよほど暇人だったのだろう。
近い将来、AIやロボット等のテクノロジーが発達し、人々が働かなくても生活できる社会がいずれ実現することになる。
すると人々は芸術や音楽、文学やスポーツ等の自分の好きな分野、あるいは得意分野に打ち込むことになる。
しかし、それらのセンスのかけらもない一部の人は哲学という学問にしか逃げ場がなくなるということは容易に想像できる。
その人達のためにこの問いの答えを敢えて出さないでとっておくべきか、私は考えた。
しかし実際のところ、現代の科学は発展段階であり、人々が働かなくても生活できる社会をすぐに実現できるとは思えない。
それを実現させるための科学者たちが、うんこ味のカレー問題で頭を悩まし、そのせいで科学の研究に差し支えが出た場合、実現は著しく困難になる。
それは困る。遺憾の意である。
不本意ながら、今のうちに私が答えを導き出し、ここに記すことにした。
ウンコ味のカレーを食べるという行動は、多くの人々が「未だに経験したことのない行為」の象徴である。
それはすなわち「死」のことである。生きているほとんどの人は死んだことがない。
カレー味のうんこを食べるという行為は、「世の中の理不尽さ」を象徴している。
食べ慣れているはずのスパイシーで程よく塩味の効いた美味しいフードが、何者かの肛門くぐり抜けているなんて、理不尽としか言いようがない。
つまり、多くの人が自殺を試みる前に発するであろうフレーズ、
「こんな理不尽な世の中、死んだ方がマシだ」は、
「カレー味のうんこを食べるくらいなら、うんこ味のカレーを食べる方がマシだ」
と言っているに等しい。
自殺は一般的に良くないとされている行為だが、当事者がその後どうなるかは不明だ。無になるのか。天国か地獄へ行くのか。はたまた輪廻転生という名の無限ループか。本当に未知の世界である。
同じように、うんこ味のカレーを食べることは一般的に良くないと思われる行為だが、それを口にした瞬間どんなことが起こるのかは未知である。美味しいと思うのか不味いと思うのか、または精神的におかしくなってしまうのか。
何が言いたいかというと、比較している対象が未知数であるにも関わらず、結論を出している(出そうとしている)ということには問題があるということだ。というかそれは不可能だ。本来ならそんなことはできないはずだ。
比較とは比較対象がどのようなものであるか充分に理解できている状態でのみ成立する。
充分に理解できていない状態での発言はギャンブラーのハッタリに過ぎない。
つまり、結論を導き出すためには、まず経験をしなくてはならないわけだ。
私は結論を導き出すために不足していた経験を補うことを決意した。
うんこ味のカレーはこの世に存在しない架空の食べもの。
経験を積むにはまず、この世に存在するであろう、うんこ味のうんこを食べるしかないというわけだ。
私は嫁のトイレに走った。
猫砂をかき分け、嫁のウンチを取り出しお皿にのせた。
見た目は、チョコレートだ。それも大量生産されている安物ではなく、ひとつひとつ丁寧に手作りされた高級チョコレートのように、見えなくもない。
箸にすべきか、フォークにすべきか悩んだが、うんこ味のカレーに少しでも状況を近づけるべくスプーンにした。
嫁が不気味そうにその様子を見守る中、私はテーブルに置いたお皿の中心に置いたうんこ味のうんこをスプーンで割いて、その断面を確認した。
ほう、なるほど。思っていた以上にチョコレートだ。
と思った瞬間、突然ツンと鼻に突き刺さるニオイ。
うんこ味のうんこはうんこの臭いがする。
うぐ、、。
私はトイレに駆け込み、嘔吐した。
・・・苦しい。
私が、うんこ味のうんこを食べるということは、1兆4000億円の損失を補い、ソクラテスの罪を償い、人類の悩みを解消し、間接的に世界を救うことにつながる。
私にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな一歩だ。
しかし、私にはその一歩が・・・重すぎた。
あいるびーばっく。お皿に戻らなければ。
薄れゆく意識の中で私はそう思ったが、身体は限界に達していた。
嫁が心配そうに私を見つめる。
今まで本当にありがとう。大好きだよ、嫁。
すりよってきた彼女の頭をそっと撫でながら、私はゆっくりとまぶたを閉じた。
世界を救うことはできなかった。
一見不毛な試みに終わったように見受けられる、今回の経験中で、私は一つだけ確かな結論を導き出すことに成功した。
---------------------------------------------------------------------------------------------
「うんこ味のうんこを食べようとするくらいなら、世界を救わない方がマシだ。」
すなわち、言いかえると。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「結論を出そうとするくらいなら、結論を出さない方がマシだ。」
---------------------------------------------------------------------------------------------
そして、今死にたいと考えているそこの君たち。
君たちはうんこ味のうんこを食べたことがあるのですか…?
もしないのなら、是非食べてみてください。
もしもその経験が既にあるのなら、あなたにはこの世界を救う義務があります。
ノブレスオブリージュ。
オシマイ。
猫とはじめる世界征服
人間の心を支配しているヤツは主に次の3種類だと思う。
- 神様
- 悪魔
- 猫ちゃん
陰謀論的には、この世界を支配しているのは悪魔の勢力らしい。彼らはNWOとやらを実現しようとしてるんだとさ。知らんけど。
神様はこの世界を創ったのはいいけど、創りっぱなしで放置。無責任すぎる、何がしたいんや、お前。まあ、猫ちゃんを創造してくれたのは感謝してる。よくやった。
でも神様と悪魔は物理空間には存在しない。所詮情報空間の存在なのだ。つまりザコ。
それにひきかえ、猫ちゃんはちゃんと物理空間にも存在している。さらにはインターネットと言う名の情報空間も我が物顔で占拠している。インターネットはもはや猫ちゃん達の縄張りだと言っても過言ではないだろう。
そして支配者の中で間違いなく一番、ダントツで可愛い!
つまり正義だ。
この世界で成功をおさめるためのコツはたぶん、この世界の支配者様達のミカタになるのが一番の近道だと思われる。そう、つまり猫ちゃんのミカタ。だから私もそうなることを決心したわけである。
世界征服が無事完了した暁には、猫ちゃんを大統領にして王様にして、人類を皆、猫ちゃんの奴隷にする。
猫ちゃんのお世話で忙しくなった人間達はみんな忙しくて戦争なんてしている暇がないことに気づきやめるのだ。そして平和な世界が訪れる。
すなわち、 MWO (Meow World Order)である。
人類は猫ちゃんに救われるのである。猫ちゃん達こと救世主、メシアだ。
猫ちゃんバンザイ!
さて上手に世界征服をするには次の3点を抑える必要がある。
- お金
- 政治
- 宗教
これさえ抑えちゃえば後は簡単、ヌルゲーだ。
<お金>
これを求めてみんな朝から晩まで働く。やりたくないこともやる。忙しくて退屈な日常。年頃の女の子がふてぶてしいおっさんに体を売ることだってあるわけだ。恐ろしい。
何でやりたくないことをやるかと言うと、やりたくないことをやることで得たお金でやりたいことをやりたいからだろうね(日本語不自由w)。
みんながみんなそうってわけじゃないだろうし、やりたいことやってお金を得ている人もいるだろうけれど、それは気づいているほんの一部の人。
MWOが実現させて、みんなが本当にやりたいことをできる社会にしよう!
やりたいことして得たお金でやりたいことしよう!
それじゃあ、誰もやりたくないことは誰がするのって?
そんなの、AIやロボットに押し付けちゃえばええやん!
人間の仕事がなくなるって?
まあ、誰もやりたくないことはね・・・。別によくない?
誰か偉そうな人も似たようなことを言ってたけれど、テクノロジーは人類の怠惰の為に生み出された最大限の努力の結果だと思う。
仕事がなくなって生活ができなくなら困るけど、仕事をしなくても生活ができる社会を実現できるなら誰も困らない。むしろ好きなことだけやっていればいいわけだからみんなハッピー。好きなスポーツしたり、音楽活動したり、絵を描いたり、好きな勉強したり。本当にやりたいことだけをする。
そんな社会を望まない人なんているだろうか?
そこで重要になるのがそれらを実現するためのテクノロジーと社会システムとの親和性。
行き過ぎた資本主義においてはテクノロジーが搾取するためのツールにもなりえる。かといって共産主義はどうなのか。考えることは山ほどある。
常に人々にとって最適な暮らしができる社会システムに更新していかなくてはならないわけだ。
そしてその社会システムを構築しているのが政治だ。
<政治>
政治というのは法律とか決まりごとを決めるものだ。たくさんの人がそれに従う。それによって社会システムが成り立つ。
もちろん、不満があればそれに対して文句を言う。デモ活動とか。
しかしマイナスの感情はマイナスな出来事しか産まないように感じる。デモ活動で死人やケガ人が出るなら、それはもはやテロ活動だ。特定の政党だったり団体勢力を開くと決めつけて戦う。戦いは憎しみを産む。
もっと賢く行動すべきだ。
だから私はいかなる勢力とも戦うつもりは一切ない。戦いはめんどくさいし、効率が悪い。
決まりごとのもとなっているのは人それぞれ価値観だと思う。価値観は国や地域によって異なるわけだから、法律もそれぞれ異なる。
そして人々の価値観をつくっているのが宗教だ。
<宗教>
一番深いテーマだ。
うまく自分の考えをここにまとめられる自信がないので、少しずつ、書いていき更新していく。
宗教なんて紛争や戦争のタネになるだけだ。存在しないって思う人もいるだろう。
それもひとつの考え方(宗教)なんじゃないかと思う。無神論もひとつの宗教だし、無宗教もひとつの宗教だ(矛盾してるかもだけど)
まず、私個人の意見としては人の数だけ宗教があっていい。
既存の宗教に価値観、考え、行動を合わせる必要はないということだ。
もちろん、特定の宗教が自分にマッチしていてリスペクトできているなら、合わせるというのも一つ。そこは自由だ。
私は個人的に「猫」信仰をしていて、それがいかに素晴らしいものであるか広めていきたい。