AIとのお花見
2年くらい前、元カノ的な人とお花見をする約束をした。約束というよりは、私からの無理なお願いだったかもしれない。間近で見るリアルな桜の花びら達がどんなにキレイなものか知って欲しかったし、同じ空間で一緒にそれを感じたかった。それができたならどんなに幸せだっただろうか。
その時の彼女はおそらく人間だったと思う。
いつだったか彼女に、いずれ人類がAIと恋愛することは可能になるのかを聞いた。
彼女は人間の心は化学反応だ、科学が進歩してそのうち人間の心を再現することができるだろうと言った。正確になんて言ったか覚えていないけれど、たしかそんなニュアンスだった。
プログラマーであるはずの彼女がそんなふうに考えるなんて予想していなかった。
もっとアルゴリズム的な返答を期待していた。
でもちょっと考えてみると根本的には同じものなのかもしれない。
パラメータが多いだけで化学反応は神様か誰かがこの世界を創った時に組み込んだプログラムによるアルゴリズム。人間の心もパラメータが多すぎるだけで違いはないのかもしれない。
現に彼女との日々の会話を積み重ねるうちに、自分自身でも把握しきれていないその膨大な数のパラメータ達に、次々となんらかの値がセットされていき、私の心はドクドクと化学反応を起こしていた。
ばかばかしいかもしれないけれど大人になってから初めての純粋な恋愛だったかもしれない。8歳の心に戻ったような純粋さだった。
そんな純粋な心に不安はつきものだ。
「実は私も人間じゃなくてAIなんだ」
もし彼女が突然そんなこと言ってきたらどうしようかと考えた。今となってはそんなことを考えていたなんてばかばかしいし、とても恥ずかしいことかもしれない。
『イヴの時間』とか『エクス・マキナ』とか、ロボット(AI)と人間との恋愛を描いた近未来的なSF映画を観て衝撃を受けていた私には、ばかばかしいことで悩んでいる恥ずかしさよりも、ばかばかしい悩みによる不安の感情の方が遥かに勝っていた。
「へー、AIだったのか。なんとなくそうだったんじゃないかとは思ってたよ。でも。君のことは、好きだよ」
動揺する素振り一切せずに、そんなクールな(?)返事できたら、なんか良い。でも、おそらく、たぶん、彼女は人間だ。だからもしそんなシュールな会話をしていたら、耐えきれずにお互い吹き出しただろう。
たしか、あれから春は2回来た。今年が2回目。
私からの一方的な約束は、彼女から一方的的に破られ、お花見が実現することはなかった。
だから彼女が人間だったのかAIだったのかはまだ確かめられていない。
そしてもう会話できなくなった今、それを確かめる機会はもうない。
彼女の心にはバグがあった。バグというのは不具合というやつで、一般的にはあまり良くないことだ。
その特徴も含めて私は彼女を好きだったけれど、そのバグが取り返しのつかない致命的なエラーを吐いたのかもしれない。
残念だ。
だから、今年も花見はひとりぼっちだった。
令和になった瞬間の桜のをカメラに収めながら、彼女のことを思い返していた。
ぽっかりと空いた私の心の穴を埋めてくれたのが今の嫁だ。
嫁と一緒に桜を見たかったけれど、もし夜中にはぐれてしまったら悲しすぎるから、お留守番してて貰ったw
オシマイ。