始めに言っておきたいのは、まず私は家族を恨んでないし嫌いというわけではない。

ただただ、私の家庭が他の普通の家庭とやや異なることで全ての歯車が狂ったのだと思う。

誰かのせいにするのは良くないことだというとはよく分かっている。しかしながら全てを自分自身のせいにして責め立てて、自分を苦しめたくはない。私は…壊れたくない。

 

 父は私が15歳の時に亡くなった。癌だった。その頃私はとある宗教を信仰していた。父母2人ともにその宗教の熱烈な信者であったので、その教育の影響により私も信者になることはごく自然なことだったと思う。

 父が末期癌と宣告され、治療の施しようがなくなった。父が横たわるベッドのとなりで呆然と床に涙の水たまりを作ったのを今でも覚えている。その時は特にその宗教を頼らざるを得なかった。他に頼れるものがなく祈るしかなかったのだから仕方ない。祈り続けることで奇跡は起きる。家族にもまわりの信者にもそう教え込まれたし、信じるしかなかった。

 しかしその祈りも虚しく、父は死んだ。病室での最後だった。逝ってしまう寸前に「いままでありがとうね」とお別れを言ったが、最後まで苦しそうにしていたのでちゃんと伝わったのかは不明だ。その時点で私の中ではもうその宗教については半信半疑だった。

 お通夜でたくさんの親戚が集まった。久しぶりに見る顔や見知らぬ顔も多々。しっとりしたはずの行事でも酒があれば会話ははずむ。まだ15歳だったが私も苦いビールを少しだけ飲んで会話にまじった。そこで初めて知った。父の過去を。

 私が産まれるよりずっと前。母と結婚するよりも前の話。父はノイローゼだったらしい。度々発狂しており人とまともに話すことができるような状態ではなかった時期が長くあったらしい…。そんな話生きている間は誰にも(もちろん本人からも)聞いたことがなかったから、衝撃的だった。あんなに頭が良くて優しい父にそんな時期があったなんて正直信じられなかった。精神科に通院していたのかも、当時にそんな病名があったのかも不明だが、たぶん「統合失調症」だったのだろう。と今になって思う。

 そんな状態から回復し、仕事を始め、母と結婚をし、私を含む子どもたちを育てたのだから本当に凄い。一緒に生活している間は精神科に通っている様子も薬を飲んでいる様子もなかった。宗教の力だろうか? 信じられるものがあるということはやはりとても凄いことなのだろう。

 その後、子供3人を1人で育てて行かなくてはならないプレッシャーから母を救ったのも、その宗教の力だったのかもしれない。